11月8日は、陸前高田市気仙町今泉の水野常子さん(昭和5年生まれ)を先生としてお願いして、手もみ茶づくりを教えてもらいました。
生徒は、陸前高田市高田町出身の3人の男子(30代)と大船渡の女子、それから気仙茶の会で活動している、米崎町の小野さん、気仙町の文子さん、そして、雫石から佐藤・前田が参加しました。
常子先生は、手もみ茶づくりを15歳くらいの時に近所のおばさん、おばあさんたちがやっているのを見ていただけだそうですが、それを思い出しながら、実際に手の動き、力加減、火加減を調節し、茶葉のねばり具合を手で確かめて、出来上がりまで指導してもらいました。また、作業は、生徒の皆さんも順番に参加して、時に「そうでなぐ!」と厳しい指導を受けながら、揉み込みました。
一同、常子先生の手の動きのやわらかさ、茶葉が手の中でまとまって、まるでうどんをこねているような感じに、すっかり魅了されてしまいました。
文子さんも「すごいね~すごいね~!今までやってたのと全然違うね。理にかなったところがたくさんあるね~」と感心しきりでした。
初体験の若者組も、実際に茶葉の感触、匂い、など感じながら、「無心でやるのがいいんんだよ、無心無心!」と言って、慣れない作業を楽しんでいました。
常子さんのお茶づくりのポイント、いくつか印象的なことがあります。
茶葉の温度を人肌くらいに保っていること。そのために、ドダンは熱くして(手が触れると熱くて飛び上がるような)、その上に置いてほろくことで、水分を飛ばしつつ茶温を熱くなりすぎないようにしているのでした。また、頻繁に、ドダンを炉から外して揉み、熱くなりすぎないように注意していました。茶温が下がり過ぎた時には、またドダンを炉に戻し、温めながら行っていました。
それから、揉み板を使うのははじめだけで、あとは、お茶同士で揉んでいく、ということで、茶葉を大きな塊で揉むのを続けました。このことで、粉々にならず、茶葉の「しとり」(水分)も保たれたままに揉み込めました。
また、ねばりが出る、最終の段階までは、手に力を入れず転がすだけでした。ねばりが出てからはつぶすように伸ばすように、手のひらの付けねのところに力を入れて前に押す感じです。
・ドダン(助炭)の温度は、手が触れないほど熱い。(熱くて手をすぐに跳ね上げる)
・その上で、まず三本箸×両手で、絶えず動かして、空気を抜く。その後、広げて温めて置く(10:28~10:49)。
・茶葉が全体に温まったら(人肌以上)ドダンの上に揉み板を斜めに2本置いて、茶葉をおよそ2等分した量を手の中に入れて力を入れずに揉む。揉んだら向いの人に渡して、すぐに向かいの人がそれを揉む。こうして交互に揉む。それから、またドダンの上で茶葉を温めながら広げる。(10:49~10:58)
・その後、ドダンを炉からおろして、シートの上の揉み板の上で、揉む。その間に、炉の炭は半分にしてしまう。(10:58~11:05)
・茶葉が冷たくなってきたので、またドダンに載せて、ほろきながら温めた後、大体、二人の両手に入るくらいの大きさになったら、二人でそれぞれひとまとめにしてこねる。(11:05~11:10)
・この後は、ひとまとめで転がすようにこねる。ねばりが出てきたら、かなり力を入れてこねる。塊がいくつもでき、粘土みたいになる。(11:10~11:52)
・広げて乾燥する。揉み切れなかった「番茶」は選別して別にまとめる。また、乾燥の時は、炭は数個だけ、両脇に置くだけにしている。(12:06~13:26)
出来上がったお茶は、粉があまり出ない、今までに比べてとても細やかに揉み込まれたお茶になりました。飲んでみると、渋みや苦味もあり、その後に甘みが口に広がってくる、とても飲み応えのあるお茶になりました。
常子先生も「ああ、お茶飲んだ、って感じのお茶だ」「いいお茶出て、よかったなあ。こんなオッパ(大きくなりすぎた老葉)から、これくらいのお茶が出れば十分なんだ。実は、お茶づくり引き受けてみたのはいいが、さて、どんな葉っぱかもわからないし、うまくお茶ができるのか心配してたんだ。ああ、よかった」とほっとなさっていました。
若者組も、自分たちが揉んだお茶を飲むことに、感激した面持ちでした。佐藤さんも、「この、舌にまとわりつくような味わいが、気仙茶の特徴なのかなあ」といいながら、3煎、4煎と、自分で注いでは飲んでいました。
おうちにお送りした時、常子さんは、「今日はありがとう。みんなから『常子さん、常子さん』って呼ばれて、嬉しかった~!よかったよかった。」と笑顔でおっしゃっていました。
今日の手もみ茶づくりをやってみて、本当によかったなあ、と思います。
文子さんがとても感激した面持ちで何度も言っていました、「本当に、家家でやり方が違うんだねえ。まさに『おら家のお茶っこ』だねえ~」と。
常子さんのやり方は、常子さんが若いころに、近所のおばさんたちがやっていた作り方。そのおばさんたちは、また、おばあさんやお姑さんや近所のおばさんから教わって、「見よう見まね」でやってきたこと。深くて広い気仙の茶文化の地層から、今日のお茶づくりも生まれ出たものであり、それを、若い人が経験しました。この人達が、何十年後にも、また子供や、若い人たちに、繋いで行ってほしいと思いました。
日本の手もみ茶技術というものは、長い年月をかけて、また、多くの人達の真剣な取り組みによって、洗練されたものであり、とても理にかなったものになっていると思います。お茶を作る道理や科学は、一定のところに収斂していく面があるでしょう。
また、気仙に伝わる手もみ茶、も、気仙だけで完結したものでなく、元をたどれば日本の各地からいろいろなルートで伝わってきたものであり、伝わったやり方がそのまま残っていたり、少しずつ変化したものでしょう。
今、「よいお茶」を作ろうとするならば、先進産地や名人の方々の技術を学ぶのが一番の近道かもしれません。が、気仙には常子さんのような、お茶を大事に作ってきた人、見て来た、無名の人がたくさんいます。私は、その人たちに教えを乞い、一緒に作っていきたいなあと思います。それが、地域のお茶、コミュニティのお茶である気仙茶にとって、大切なことなのではないか、と。その取り組みを続けて、いつか、おばあさんたちが口をそろえて言う「手づくりのお茶は、買ったのよりもずっとおいしいよ!」「あんなの美味しいお茶に、その後一度もであっていない」というお茶にたどり着きたいです。
何よりも、常子先生の手もみ茶づくり講座には、常子先生と若者の、笑顔が溢れていました。それが、私たちが気仙のお茶の活動を行う原動力だと思うのです。