2016年 04月 26日
高田のじいちゃん高田のばあちゃん昔がたり 高田まぢ編その2 を開催しました。 |
告知期間が短かったにも関わらず、30人以上の方々がご来場くださいました。おこしくださった皆様、ありがとうございました。
高田町森の前で生まれ育って79年の、高橋壮介さんをお招きした「高田まぢ編その2」。壮介さんのお話はとてもわかりやすく、会場の皆さんも、貴重な由来のお話にほう~と感心したり、子供時代のお話に「そうそう」とうなづいたり。
壮介さんのお話は、阿部さんのフェイスブックの投稿に詳しくのっていますので、引用させていただきます。
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高田のじいちゃん高田のばあちゃん
昔がたり 高田まぢ編・その2
前回に続き、とても濃厚な時間を参加者の皆さんと一緒に過ごすことができました。今回の語り手は、森の前地区にお住まいだった79歳のおじいちゃん・壮介さん。
森の前地区の方々が大切に思っている五本松のことや道慶さまのこと、川を渡れるようにと日頃市の稲子沢のお婆さんがお小遣いでかけてくれた三枚の石の橋の一枚が、一中の校歌の歌碑になっていること。当時子ども達の遊び場の1つだった「糠の森」は当時の市長さんが所有しており、舘の沖地内に市役所庁舎を建設する時に、盛り土するために森を崩して土を運んだということ。
また、戦時中には艦砲射撃で姉歯橋が襲撃されたと聞き、友達とこっそり防空壕から抜け出して姉歯橋を見に行き、あとから大人達に叱られたこと。高田松原が県南部の大地主さんの所有になっていた時代、そこの番頭さんが壮介さんの家に下宿していて台風の後などには、番頭さんにくっついて行って落ちた枝や松葉を拾ってきたこと。終戦後に、役場の人が20万円をリュックサックに入れて大地主さんの所へ行き、松原を買い戻してきて市所有となったこと。
高田で一番大きな盆踊りが森の前の盆踊りで、片倉製糸工場の女工さんも参加して盛大に行われていたこと。昔あったという「高田小唄」の話が出た時には、参加者のお一人がその場でうたってくれるという一幕も。。
他にも松原の思い出や小正月行事のことなどなど…あっという間に時間が過ぎてしまいました。いろんな話が出るたびに、客席のあちこちから小声であーだったこうだったと、おしゃべりの輪が生まれていました。
貴重なお話の共有と記録、参加された皆さんの記憶の掘り起こし…とても充実した会になり、感激しました。
次回は6月後半開催予定です。
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また、高田小唄の話題になった時には、会場のお客様のお一人にマイクが回って、朗々と歌ってくださる一幕もあり、盛り上がりました。
後半は、会場の参加者全員にマイクを回し、お一人ずつお話しいただきました。「『来ないと後悔する』と思ったので来た。来てよかった。」「松原が好きだった。今日も松原のお話をたくさん聞いて、鳥肌がたつくらい嬉しかった」というお話があったり、30代の参加者からは「高田町にずっと住んできたが、初めて聴く話ばかり」とのご感想があり、この会を開いてよかったという気持ちになりました。
また、震災当日の話を話してくださる方があったり、「前回は気持ちがついてこなくて来れなかった。今回やっと来れた」とおっしゃる方もありました。
この会は、どなたのお話も、皆さんが深く聞き、受け止めていることがとても伝わってきます。お互いの言葉を深く聞き、受け止めることの大切さを改めて感じます。
(写真は瀬尾夏美さんに提供いただきました)
by kesen-communi-tea
| 2016-04-26 19:50
| 聞き書き・伝承