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気仙コミュニ・ティー運動応援隊

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<   2016年 04月 ( 9 )   > この月の画像一覧

  • 高田のじいちゃん高田のばあちゃん昔がたり 高田まぢ編その2 を開催しました。
    [ 2016-04 -26 19:50 ]
  • 4月の気仙茶館を開催しました!
    [ 2016-04 -21 20:35 ]
  • 高田の昔がたり第二回を開催します!
    [ 2016-04 -21 20:29 ]
  • 昔がたり高田まぢ編より~⑧田鶴子さんの冬の遊び
    [ 2016-04 -06 09:39 ]
  • 昔がたり高田まぢ編より~⑦初めてのバス
    [ 2016-04 -05 10:55 ]
  • 昔がたり高田まぢ編より~⑥水汲みのお手伝い
    [ 2016-04 -05 10:08 ]
  • 昔がたり高田まぢ編より~⑤田鶴子さんの遊びその1 かふえ遊び
    [ 2016-04 -04 10:08 ]
  • 昔がたり高田まぢ編より~④おひなさまのこと
    [ 2016-04 -02 13:54 ]
  • 昔がたり高田まぢ編より~③お茶づくりのこと
    [ 2016-04 -02 12:49 ]
1
2016年 04月 26日

高田のじいちゃん高田のばあちゃん昔がたり 高田まぢ編その2 を開催しました。

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先の土曜日4月23日は、「高田のじいちゃん高田のばあちゃん昔がたり」の第二回目を開催しました。まずは速報でご報告します。
告知期間が短かったにも関わらず、30人以上の方々がご来場くださいました。おこしくださった皆様、ありがとうございました。
高田町森の前で生まれ育って79年の、高橋壮介さんをお招きした「高田まぢ編その2」。壮介さんのお話はとてもわかりやすく、会場の皆さんも、貴重な由来のお話にほう~と感心したり、子供時代のお話に「そうそう」とうなづいたり。

壮介さんのお話は、阿部さんのフェイスブックの投稿に詳しくのっていますので、引用させていただきます。

*******************************************************
高田のじいちゃん高田のばあちゃん
昔がたり 高田まぢ編・その2

前回に続き、とても濃厚な時間を参加者の皆さんと一緒に過ごすことができました。今回の語り手は、森の前地区にお住まいだった79歳のおじいちゃん・壮介さん。

森の前地区の方々が大切に思っている五本松のことや道慶さまのこと、川を渡れるようにと日頃市の稲子沢のお婆さんがお小遣いでかけてくれた三枚の石の橋の一枚が、一中の校歌の歌碑になっていること。当時子ども達の遊び場の1つだった「糠の森」は当時の市長さんが所有しており、舘の沖地内に市役所庁舎を建設する時に、盛り土するために森を崩して土を運んだということ。

また、戦時中には艦砲射撃で姉歯橋が襲撃されたと聞き、友達とこっそり防空壕から抜け出して姉歯橋を見に行き、あとから大人達に叱られたこと。高田松原が県南部の大地主さんの所有になっていた時代、そこの番頭さんが壮介さんの家に下宿していて台風の後などには、番頭さんにくっついて行って落ちた枝や松葉を拾ってきたこと。終戦後に、役場の人が20万円をリュックサックに入れて大地主さんの所へ行き、松原を買い戻してきて市所有となったこと。

高田で一番大きな盆踊りが森の前の盆踊りで、片倉製糸工場の女工さんも参加して盛大に行われていたこと。昔あったという「高田小唄」の話が出た時には、参加者のお一人がその場でうたってくれるという一幕も。。

他にも松原の思い出や小正月行事のことなどなど…あっという間に時間が過ぎてしまいました。いろんな話が出るたびに、客席のあちこちから小声であーだったこうだったと、おしゃべりの輪が生まれていました。

貴重なお話の共有と記録、参加された皆さんの記憶の掘り起こし…とても充実した会になり、感激しました。

次回は6月後半開催予定です。
************************************************************
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また、高田小唄の話題になった時には、会場のお客様のお一人にマイクが回って、朗々と歌ってくださる一幕もあり、盛り上がりました。
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後半は、会場の参加者全員にマイクを回し、お一人ずつお話しいただきました。「『来ないと後悔する』と思ったので来た。来てよかった。」「松原が好きだった。今日も松原のお話をたくさん聞いて、鳥肌がたつくらい嬉しかった」というお話があったり、30代の参加者からは「高田町にずっと住んできたが、初めて聴く話ばかり」とのご感想があり、この会を開いてよかったという気持ちになりました。
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(壮介さんのお話を聞きながら、あちこちで思い出が湧いて出てきていました)

また、震災当日の話を話してくださる方があったり、「前回は気持ちがついてこなくて来れなかった。今回やっと来れた」とおっしゃる方もありました。
この会は、どなたのお話も、皆さんが深く聞き、受け止めていることがとても伝わってきます。お互いの言葉を深く聞き、受け止めることの大切さを改めて感じます。
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(写真は瀬尾夏美さんに提供いただきました)
▲ by kesen-communi-tea | 2016-04-26 19:50 | 聞き書き・伝承
2016年 04月 21日

4月の気仙茶館を開催しました!

4月16日は、陸前高田市高田町のりくカフェ「もとカフェ」にて、気仙茶館を開きました。
午前中はゆっくりペースでしたが、午後になって、陸前高田市内のお客様のほか、派遣職員としてこの4月から市役所に着任された方や、大阪から東北旅行にいらしてわざわざ足を伸ばして気仙茶館を訪れてくださった方、盛岡からドライブでいらしてくださった方、大船渡からいらした方などなどで、気仙茶のテーブルを囲みました。気仙のお茶を囲む人の輪は、初対面でもなんだか馴染みのような温かい輪となりました。お越しの皆様、ありがとうございました!!
▲ by kesen-communi-tea | 2016-04-21 20:35 | 気仙茶を楽しむ場づくり
2016年 04月 21日

高田の昔がたり第二回を開催します!

陸前高田での昔がたり「高田のじいちゃん高田のばあちゃん 昔がたり 高田まぢ編 その2」を、今週土曜日に開催します。
今回の語り手には、森の前で生まれ育って79年の、高橋壮介さんをお招きします。聞き手は、前回に引き続き阿部裕美さんです。五本松、本丸、馬場、駅通りなど、高田町の西地区のお話がいろいろ出てくるはず。若い世代から年配の方まで、皆さんの知らない話や、知っている話を、一緒にしませんか。
熊本をはじめ九州各地での地震被害に心を痛める日々です。無念にも亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。
今この集まりを開催するかどうか、スタッフが集まって考えましたが、予定どおり行うことにしました。ひと時、陸前高田の暮らしの記憶を、ご一緒に思い出したり共有したりする時間を、持ちたいと思います。

日時 4月23日(土)午後3時~5時
場所 陸前高田市高田町 りくカフェ
入場無料

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▲ by kesen-communi-tea | 2016-04-21 20:29 | 聞き書き・伝承
2016年 04月 06日

昔がたり高田まぢ編より~⑧田鶴子さんの冬の遊び

田鶴子さんが子供の頃の高田町は、今よりずっと雪がたくさん降って、「おどごおなご」と言われた「たっちゃん」は、作ってもらった竹スキーを履いて、馬車の後ろにすがって遊んだそうです♪

では本文をどうぞ~!(文中敬称略)


阿部
冬なんかはどんなことして遊んだんですか?

田鶴子
おら、「おどごおなご」ってかだられたんだからす。

阿部
おどごおなご?

会場
(笑)

田鶴子
おとなしかったからさ。
・・・あのう、乱暴なの、おれぁ。

阿部
乱暴なの??

会場
きかねえんだ。

田鶴子
んだからね、弟にかだられた。「おしょす」って。「おれぁおしょすぞぉ」って。

会場
(笑)

阿部
どんなことしたったの、冬は?

田鶴子
馬車だもの、どこもみな。
馬車が通った時代だからにゃ。そして雪も一杯降るしね。今なんかにゃ、あったかくてにゃ。

阿部
昔はもっと降ったんですか?

仲子・田鶴子
降ったねゃ。長靴なんか隠れるくらい。

阿部
長靴が隠れるほど!

田鶴子
雪かきしろ、ってかだられると、やんたくてなあ。

阿部
(笑)

田鶴子
遊ぶことは、・・・なんというか、「おどごまさり」なんだなあ。
光照寺ってお寺あっかすと。光照寺の上から、そりで降りてくるの。

前田
馬車につかまって、スキーもやったって。

田鶴子
スキーなんてそんなしゃれたもんでねえの。
竹、火であぶってこう曲げたの、こせえでもらってね。
来た馬車さ、すがんの。こがなくてもいいからね。
馬車も何もかだんねえ。「すがんだなあ」って。

会場
(笑)

田鶴子
こんどぁ、帰ってくる時、来る馬車なんぼもあっからね、また帰りは、すがって来んの。
いたづらばりしたんだ。
(写真は大友重隆さん撮影)
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▲ by kesen-communi-tea | 2016-04-06 09:39 | 聞き書き・伝承
2016年 04月 05日

昔がたり高田まぢ編より~⑦初めてのバス

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~2016.3.26昔がたり高田まぢ編より~⑦初めてのバス
菅野田鶴子さん(93歳)は、ちょっとおてんばで好奇心旺盛な女の子だったようです♪
馬車が当たり前だった、高田町の通りに、初めて通ったバスが通った頃。女車掌さんのスタイルに憧れて、ムラケンさんから長砂まで、田鶴子ちゃんは一人で切符を買って「バス」に乗ったのだそうです。
では、本文をどうぞ~(文中敬称略)


田鶴子
馬車ね、馬車しか通んねえがら。今、語るこんなな車なんか、滅多なこと通んねえがら。
通んないし、あと、バスもね、バスって、「ムラケン」ってあるがね、「ムラケン」さんで始めたのね、車ね。バスずうもの来て、女の人の、切符売る人ね。珍しいなあと思っておら見だもんだでば。

前田
車掌さん、ですよね。

田鶴子
うん、車掌さん。事務員でなぐ。切符売るの。前さかばん下げてね。
かばん、そのスタイルが見たくてさ。ムラケンから長砂までか、切符買って乗ったの。

会場
(笑)

田鶴子
「ああ~あんなことすんだなあ」と思ってね。歩ってもいいようなもん(距離)だが、まずね。ムラケンさ寄って、切符買って、そのバスさ乗って、長砂までね。今で語れば「ここのえ」あたりだ。「おおや」のあたりね。あそこらまで乗って。なんぼだったかな、値段は、忘れたけんどもね。

阿部
で、帰りは?

田鶴子
歩ってきた(笑)。

会場
(笑)

仲子
年代も違うんだが、この人はお嬢様だからね。

田鶴子
こっからこう切符出すの。乗ってみてえもんだな、と思って、乗ったの。ムラケンから、バスさ乗って、長砂までね。そしてあと脇ノ沢の方まで行ってしまうからね、大変だ(笑)

会場
(笑)

(写真の左が田鶴子さん、右が仲子さん。大友重隆さん撮影です。)
▲ by kesen-communi-tea | 2016-04-05 10:55 | 聞き書き・伝承
2016年 04月 05日

昔がたり高田まぢ編より~⑥水汲みのお手伝い

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仲子さんは、子供の頃は水汲みのお手伝いで遊ぶ暇もなかった、とお話ししてくださいました。
戦前、戦中の頃のお話しだと思います。当時の高田の町の水は、井戸水だったこと、や、井戸はどの家にもあるものではなく、共同で使っていた様子がうかがえます。



阿部
仲子さんは?(子供の頃どんな遊びをしましたか?)

仲子
遊んだ覚えがねえんだ。
わしぇえだ。(忘れた)

阿部
じゃあ、お手伝いしてたんですか?

仲子
おらあ、大きくなってから、向かいの魚屋の後ろにつるべで汲む古井戸から水を汲んで。
あさひやだの、気の毒だから、何軒も汲んで歩ったのす。で、何も遊ぶ暇ねえのす。

阿部
遊ぶ暇なかったんですね。水汲みさ行ってたんですもんね。

仲子
釣瓶でくむものや。
何もできねえから、そういうことしかできなかったの、私は。
重い水担いで、3軒も4軒も。魚屋の脇から。
それも気の毒なんだよねえ、他の家の脇ねえ。
▲ by kesen-communi-tea | 2016-04-05 10:08 | 聞き書き・伝承
2016年 04月 04日

昔がたり高田まぢ編より~⑤田鶴子さんの遊びその1 かふえ遊び

昭和初期に流行した「かふえ」=カフェを再現?すべく、子供達が襟巻を隠し持って本称寺の山門に集まり、のれんのように襟巻を下げて、かふえを作って、そこで「東京弁」を使って遊んだそうです。
その頃の「かふえ」は、今の「カフェ」とは違って、女給さんがサービスする「夜のお店」的なものだったようですね。
どうして、「かふえ」遊びをしたかったんだろうなあ、田鶴子ちゃんたちは。その頃、高田町には「かふえ」あったのかな。
では、本文をどうぞ~
田鶴子
そんなことやったりね。
あどほら、家からね、おごられっがら隠して持ってくの。
阿部
何を持ってくんですか?
田鶴子
マフラー。今でかだればマフラーだな、襟巻ね。
こう、たらん、となるようなものね。
五、六人で集まっからね。
かふえ、ずうとこさ行くと、なんだかこんなのぶら下がってるんだっけ、って。
阿部
どこ?
田鶴子
カフェ。
会場
(爆笑)
田鶴子
んだからね、そうなんだ、1年生2年生だもの。
阿部
じゃ、その、襟巻持ってったのを、たらして。
田鶴子
お寺の、門があっかすと。それさこうかけてね。隠して持ってくんだ、おこられっからね。
仲子
お寺の中で遊んだの?
田鶴子
そう、門のあるところ、入り口で。何もいわねえんだ、お寺さんもね。
阿部
襟巻は、のれんの代わりなんですね?
田鶴子
そうそう。くぐって歩くのおもしぇくてね。
そしてあと、「東京弁使うんだぞぉ」って。
会場
(笑)
田鶴子
上手な人あんだ、東京弁がね。んだからね~、あの人まだ生きてったべか、車屋のさきちゃんってね。東京弁上手なんだ。真似すんもんね。
お寺では毎日。
そして、こういうコンクリだからね。
阿部
昔からコンクリなの?
田鶴子
お寺の山門のところは昔からね。だから、片づけるにも片づけやすいし。お寺さんもわかってんだべ。
(写真:大友重隆さん撮影)
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▲ by kesen-communi-tea | 2016-04-04 10:08 | 聞き書き・伝承
2016年 04月 02日

昔がたり高田まぢ編より~④おひなさまのこと

~2016.3.26昔がたり高田まぢ編より~④おひなさまのこと

聞き手:阿部裕美さん 語り手:菅野田鶴子さん(93歳)、菊池仲子さん(85歳)
(文中敬称略)

高田町の川原町では、昔は、おひなさまを見に、子供達が家々を訪ねて、ごちそうになったそうです。
田鶴子さんがその時の様子を詳しく話してくれてました。


では本文をどうぞ~


田鶴子
それから、昔はおひなさまだの、やった。

仲子
5月はこいのぼりしてね。

田鶴子
学校にいるうちに、「いくべかいくべか」って何人か来んの。おひなさまを見に。

阿部
おひなさまを見に?どこに見にいくんですか?

田鶴子
飾った家さ。
本称寺の、お寺に80近えおばんつぁんいで、8段飾りのおひなさまね、ちゃんと甘酒と煮しめと、後はなんだかちょこっとしたの作っててね。
そして「おひなさま見さ来あんした」って言うと「上がらんせ上がらんせ」って。

みんな、だからその時は着物もね、学校で着たのは脱いでしまって。家でも心得てんのね、親だぢがね。まんず、ぴっとここさ折り目の立ったね、衣装だの羽織っこだの、そんなの着せられてね、行くの。

よその家さ上がるんだからね、下駄もきたねえ下駄でなく履いて、行くずと、そこでまず、大体毎年行ってっからね、どこの家にどんなお雛様あるずのは覚えてっからね。

おらほでは、川原では、やんの。

津波で流れたけんど、学校の後ろにタカヤスってね、そこも立派なお雛様のある家だったのね。
あとは、男の子供ばりで、女の子がねえとこもあんの。んでも行くんだ、そこさもね。すると、マトイ(的)って・・

阿部
マトイ?

田鶴子
あれ、あったさ、あの丸っこいので。あと弓矢。それを飾っとく家もあんだ。「おら家さも来あっせぇよ」って語んだ。
行くのそこも。おひなさまねえけんど。そうすると上がらさんだ。そして、お煮しめだとかね。

阿部
ごちそうになってくるの?

田鶴子
そうそう。んだからね、腹いっぺえになってね。それ楽しみだったでば。

阿部
何軒も回って歩くの?

田鶴子
はなはだしい時は馬場の方まで回って歩くの(笑)。

阿部
お雛様も今みたいなお雛様?

仲子
んでねぐ、土人形。

阿部
高田人形ですか?

田鶴子
いろいろ様々。買ったおひなさまの家のもあるしね、あとあれ、花巻人形。あんななおひなさまを好きな人もあんだでば。わざわざあれだけ集めてる家もあんだ。フランス人形みたいなの飾っとく家もあるし。
いろんなおひなさまあんだっけぜぁ。まんず、おまつりだねえ、子供たちのね。
▲ by kesen-communi-tea | 2016-04-02 13:54 | 聞き書き・伝承
2016年 04月 02日

昔がたり高田まぢ編より~③お茶づくりのこと

~2016.3.26昔がたり高田まぢ編より~③
お茶づくりのこと
聞き手:阿部裕美さん 語り手:菅野田鶴子さん(93歳)、菊池仲子さん(85歳)
(文中敬称略)

阿部
高田まちにも気仙茶植えてるとこはあったんですかね?

仲子
お茶っこ植えてるとこあったよ。

田鶴子
あったよ。

阿部
田鶴子さんちにあったの?

田鶴子
ママに。崩れっとこさ植えたんだね。
だから、やんたの。暑いときにこれ(お茶揉みを)、やんねばねえから。

会場
(笑)

阿部
自分ちで作ってたったのね。

仲子
仕上げるの。そして、出すんでねえの。

田鶴子
売るんでねえの。家で飲むの。
あとはまんず、知ってっとこさね、おばあさんが、けだりね。

阿部
お茶摘みとか、それは・・・

田鶴子
毎年、頼む人がね。

阿部
あ、誰か頼んでくるんだ。

田鶴子
あれ、さきちゃんの母さんとか。お茶だぞぉ、ってかだればね。やるんだね。

阿部
手伝ったりもしたんですか?

仲子
何か、おかみに運んだんでねえ?

田鶴子
揉み方さ。こたつのにゃ、脇かためたの、ここさほら、「ゆどん」。ゆどんっつうの。さっき敷物の話出た。あれのようなのを、箱さちゃんとこしぇだのあんの。こたつひっくり返したようなのさね。
炉さば炭いっぱいくべてね。開けたり閉めたりできなくなるからね。
んだから、こんな太いの入れんだっけ、炭をね。
それは、乾燥させんのにね、入れて。
そして、むしろでね、お茶揉む「むしろ」あんのす。
何回も使ってっから、赤茶びたようになってね。お茶専用にね。
あどは、ちゃんと立派に拭いて、蔵さしまっとくの。毎年、出して使うから。

おどご人だぢぁ、一番最初にね、ほら、釜から上げてきたのをね、揉むんだっけ。
力要るからねえ、あれは。

後は、炉端さ、こう、囲ったもの(※助炭と呼ばれる、乾燥させるときに使う箱のようなものだと思われます)をね、かぶせて。
これくれぇ幅のね、縄で巻いた板っこみでえなのね、それをこう(助炭に)渡すんだ、二つくらいね。
だから、(向かいあわせて)四人(よったり)ぐらいしてやんのね。
昔の炉だから、広いんだ。ちっちゃこい炉でないからね。それさ炭どさっと入れて、あとは、上げたり下げたりしねえんだ。仕上がるまでね。
揉み方させられるの、オラどぁ。3年生4年生ぐれえで、やんたな、と思って。あづがらな。あづぐなったとこだがすと。汗かきかきやったがね。
あどは、むしろ、って、一番先に揉むとこは、おどごだよ。力要るがらね。

阿部 
それで、作ったお茶っこは。

田鶴子
家で飲むの。あとはよそさ上げたり。

阿部
売ったりはしない?

田鶴子
売んない。
缶さ、三つも四つも採んだもの。相当だよ。
一番、茎茶みたいな、荒っぽいのでね、(ふるい・こおろしを)通すんだっけな。
だんだんだんだん、3回くらいにね。一番最後に通すのは、おばあさんが飲む、っと。

阿部
ああ、それはもう決まってるの?

田鶴子
一番立派な撚りのかかったね。一番いいとこね。
今のお茶っぱ、そんなに撚りのかかったの見たことない。
そのお茶はね(いいお茶だった)。んだがら「ああ、今年ぁいいなあ」ってね。

んだから、何だろう、昔の人のお茶っこの飲み方ってね、ほんとに美味しそうに飲むのね。
(自分も)真似っこするけどね。
あんまりあっつくてもお湯はわがんねえしね。

だから、昔の人のお茶っこの飲み方ね、なんだか、本当にうまそうに飲むんだっけなあ。飲み方がなえ。
おらあ、思い出した。おばんつぁんが飲むとき、うまそうに飲むんだっけなあ、って。
おれが、真似して飲んでるんだけどね。

阿部
田鶴子さんがお茶を飲んでるのを見て、「ああ、おいしそうに飲むなあ」って見てる人がいるんでないの?

田鶴子
昔の人は大事にするもんね、お茶だらお茶、というものを。ちゃんとね。
▲ by kesen-communi-tea | 2016-04-02 12:49 | 聞き書き・伝承
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